驚きの声をあげるクレープ屋の女性。 

 ソルを抱えたままのブラッドは一瞬だけ、眉をピクリと動かし「ええ、まあ」と触れて欲しくない様子で小さめな声で返事をする。 

 

「なんだ、やっぱりそうじゃないかい! アンタ、ほら"勇者様"だよ! "勇者様"!」 

 

 ──勇者。 

 女性の言葉に無反応だった回りの人間が一人、また一人と反応をする。 

 

「はー、兄ちゃんがそうなのか!」 

「ねぇねぇ、旅の話をしておくれよ! 勇者様が立ち寄ったってお店って自慢してもいい? これからどうするんだい? 城に帰ってお姫様と結婚するのかな。でも、旅の仲間とかで他にいい子居たりしたの? そして魔王はやっぱり強かったのかしら。城に帰ってないみたいだけどまだやり残した事でもある? そもそも勇者様はどうして選ばれたのかしら!」 

 

 女性からの隙の無い質問攻め。 

 興奮を隠せない女性の声に商店街で買い物していた人たちが少し遠巻きにざわざわと騒ぎ出した。 

 

「……え、本当に? あの人が?」 

「なんか想像とちがーう」 

「あれ? そもそも魔王ってもう討伐したんだっけ?」 

「いやー確か、勇者からは何も聞いてないって噂だろ」 

「そうそう、仲間は戻ってるとか聞いたけど肝心の勇者様は行方知れずって言う話じゃなかったか?」 

 

 次々と聞こえる言葉に、ブラッドは目元を細め少し顔を伏せる。その顔をソルは瞳だけを動かし静かに覗き込んだ。 

 少し寂しそうで、どこか苦痛そうな表情をしていたブラッドにソルはそろりと腕を伸ばし指先で頬に触れ、少しだけ引っ張った。 

 

「よし、次行くぞ!」 

「え」 

 

 歯を見せニヤリと笑ったソルにブラッドは瞬きをする。ソルは口元にクリームが付いているのに気が付いていない様子だった。 

 ふっ、と小さく笑いブラッドは腰の後ろに着けていたポーチの中からハンカチを取り出し、少し乱暴にソルの口を拭った。 

 

「お前口元汚れてんぞ」 

「なーに、少しぐらい構わんさ。では、おじ様、おば様美味しいクレープありがとうございます、私達はここらへんで!」 

 

 クレープを持っていない方の手を上げ、夫婦二人にお礼を言う。立ち去ろうとするソルとブラッドに女性は声を掛けようとする。が、主人が首を横に振った。 

 

「やめとけ」 

「でもアンタ、勇者様なんて早々会えないわよ。それに……勇者様を見つけたら国から結構な報奨金が貰えるんだよ」 

 

 立ち去るブラッドの背中に指を指し、夫に抗議するも、もう一度「やめとけ」と止められた。 

 

「仕事に戻るぞ、ほらお客さんだ」 

「アンタ! もう……! ごめんなさいね、お待たせしましたー」 

 

 カウンターで待つ客に目を丸くして笑う。ほんの少しだけざわついていた商店街がいつもの賑やかさを取り戻していく。 

 

「あれ? さっきの冒険者の兄ちゃんは何処に行ったんだ?」 

「あら、さっきまで居たと思ったのに……残念だわ、今度来た時に買ってもらいましょうかね」 

 

 冒険者の青年が居なくなっている事に気がついた、クレープ屋の店主は肩をガクリと落としていた。 

 

 

*** 

 

 

「きもちがわるい」 

「は?」 

 

 人が少ない路地裏。野良猫だろうか、随分と人懐っこい黒猫に手を伸ばし撫でていたブラッドは、隣の空き箱の上に座っていたソルの言葉に思わず低い声を出してしまう。 

 口元を押さえて真っ青な顔色。眉間に皺を入れ唸るソルの頬にブラッドは手を伸ばした。 

 

「食べすぎじゃねえの……? 甘いもん二つも食ったから」 

「ううーん?」 

 

 眉間の皺を更に深くさせる。触れたソルの頬が思いの外冷たいことに少しだけおどろき、ブラッドは小さく肺に空気を入れた。 

 

「うー……はきそうー」 

「待て待て待て」 

 

 目を閉じて、眉間に皺を入れ、歯を食いしばって右手で胸を押さえて蹲るソルの小さな背中をゆっくりと擦る。 

 ブラッドと遊んでいた黒猫が、心配そうな瞳でソルの足元をぐるぐるとまわり「にー」と一度だけ鳴いて座り込んだ。 

 

「医者に行くか……?」 

「……や」 

 

 ゴロゴロと鳴るのは空。先ほどまで明るかった空が雲に覆われ色を隠す。 

 灰色に染まる空を見上げて空気が冷えていくのを肌で感じとった。 

 

「ドット……」 

「ん」 

「ドットに会いたい。ドットの元に帰りたい」 

 

 げぇ、げぇと嘔吐くソルに「わかった」と短く返事をする。口元を押さえ震える小さな体をしっかりと抱き抱え、立ち上がった。 

 

「……一雨くるな」 

 

 唸りを上げる空は警告を告げていた。