1.雨上がりの


 ふんふんふんふーん。と上機嫌に鼻歌を奏で歩く十歳前後の少女。その後ろから目つきの悪い男が一人、「おい」と呼びかける。しかし少女は歩みを止めず商店街のメインストリートにあるパン屋や、デザート屋。物珍しい商品が立ち並ぶ露店に目移りし男の腕が伸びるのに気が付いていなかった。 

 

「うわあーおいしそー」 

「いい加減止まらんか」 

 

 ガシリと少女のまあるい頭を鷲掴みにし、男はヒクリと口元を吊り上げる。少女は掴んでいた男の手を叩きながら「ギブギブ!」とジタバタと手足を暴れさせた。 

 

「傍から見たら幼児虐待だよー」 

「よっ、く言うぜ……俺よりはるかに年上のババアの癖してよ」 

 

 しかめっ面で少女を見下ろした男の発言。ピシリと笑みを浮かべた少女は、ぐっと右手の拳に力を込めて震えている。それに気がついた男は反応したが遅かった。 

 

「言いたいことはそれだけか」 

「っ、ぐっふ……」 

 

 全体重を込めた拳がドスンと男の下腹に綺麗に決まった。「うおおおお」と下腹を押さえその場に蹲る男に少女は「ひひっ」と笑う。 

 

「ブラッドくん……いや、ブラッドさん。口の利き方は気をつけましょうねー」 

「うぃ」 

 

 少女のかっぴらいた瞳孔に真っ赤な瞳。見下ろされたブラッドと呼ばれた男は軽く返事をして、よいしょ。と埃を叩き、立ち上がった。 

 

 ブラッドと呼ばれたのは二十歳半ばの青年。耳を隠すほどの長さの黒い髪に、空のように青い瞳。紺色のマントを翻して見えたのは、左の腰に装着しているい古した長剣。右側には真新しい短剣を下げていた。 

 

「てか、そんなにウロウロするなよ。ソル、お前に何かあったらドットがうるせぇんだよ」 

「はーい」 

 

 素直に手を挙げ返事をする。少女の名前はソル。血のような真っ赤な瞳に赤い髪の毛。白いシャツに足首まで隠れる黒のエプロンワンピースを着用している。見た目は五、六歳前後だが、ブラッド曰く『自分より年上だけど実年齢は不明』らしい。 

 

「それにしても最近の街はいい匂いがするのね。今だったら街にあるお店のメニュー全部食べられる自信があるよ」 

「やめてくれ。そんなに手持ちがないし、そもそも腹を壊すぞ」 

「そうかな。そんなに壊れないと思うけどなー」 

 

 薄い腹をぽんぽんと叩き、口元をへの字に歪ませる。が、近くの店から香る甘い匂いに顔を勢いよく上げ、目を輝かせた。 

 

「ブラッド、あの店! あの店から美味しそうな匂いがするぞ!」 

「あ、いや、ちょっと」 

「こういう時じゃないと食べられないから食べるぞー!」 

 

 爛々と輝いた瞳。体全体から能天気に花をぶわりと咲かせ、たった今焼いているのであろうクレープの匂いに釣られ、ソルは走る。 

 

「だから待てと言っているだろう!」 

「ひゃっほー!」 

 

 ブラッドの静止する声は届かず、ソルは長い髪を靡かせ駆けていく。捕まえようと手を伸ばしたブラッドだが、指先を霞めてソルは人ごみの中に姿を消した。 

 

「あんにゃろー!」 

 

 叫ぶブラッド。人が多いメインストリートだが、街の人たちは買い物や会話に夢中で特に気にした様子もなく、平和な街の姿がそこにあった。 

 

 

 

「おばちゃん、クレープひとつ下さい」 

「お、いらっしゃいお嬢ちゃん。どれがいいんだい?」 

 

 ニコリと笑って挨拶をするクレープ屋の女性。ふくよかな体に笑うと頬に皺が出来るのが特徴的だった。 

 ショーケースに並ぶサンプルの前で口を半分開けたまま、悩みを見せるソルの姿に女性は笑う。 

 

「あー、あー。悩むうう……」 

「どれもオススメだけだからねぇ」 

「あんまり多いと夕飯が食べられないから……」 

 

 うーん。と悩むソルと女性の会話に釣られ、店の奥から顔を出したのは帽子を被っていた厳つい男。男はソルを見るなり「おお、いらっしゃい」と白い歯を見せて笑った。 

 男は顔に似合わず大層繊細なクレープを作り、この街に店を構えて早二十年。女は厳つい男を支える為、店の顔として街の人間や旅人に笑いを振り撒いている。 

 つまるところこの二人は三脚で店を切り盛りしている夫婦だ。 

 

「甘いのがいいんだったらこの木苺とマリーチーズの生クリームか、こっちの花クルミとチョコアイスのケーキ入りのどっちかだなぁ。まあ、どっちも自慢だがどうする?」 

「あー、悩むー!」 

 

 目を輝かせ涎を涎を垂らすソルを見て、クレープ屋の顔を見合わせ困った顔で笑い合った。 

 

「う、うーん! やっぱり両方かな!」 

「はっは。じゃあ今から作るから少し待っといてくれよ」 

「よろしくお願いします。お金はここに置いておきますね」 

「はいよ、ありがとうね」 

 

 懐の財布から金貨を取り出し、背伸びをしてカウンターにお金を置く。おつりを手渡しで受け取って財布に仕舞いこんだその時、背後に人の気配を感じ顔を上げ後ろを振り向いた。 

 

「ねえ、君。なに買ったの?」 

 

 ソルに声をかけたのは人の良さそうな青年。その肩には大剣が見える。どうやら冒険者のようで、纏っている服はボロボロで随分と草臥れた格好をしていた。 

 

「やあ、いらっしゃい。お兄さんも何か買うかい? うちのクレープは美味しいよ」 

「そうですか、じゃあ、ひとつもらえますか。長旅で疲れたので甘いものが欲しいかなと思ったので」 

「まあ、お疲れだねぇ。じゃあどれにする? このメニューから選んでおくれよ」 

 

 青年と店の女性のやり取り。それを黙って聞いていたソルは甘い匂いにお腹を鳴らせ、自分が注文したクレープが来るのをまだか、まだかと心待ちにしていた。 

 

「……綺麗な、髪色をしているね」 

「え」 

 

 聞こえた声に反応し、顔を上げれば頭上に影が落ちた。 

 

「テメェ何しようとした」 

 

 少しばかり肩で呼吸をしていたブラッドの声。背の低いソルの頭上に手を伸ばし、ニコリと笑う青年の手首をギリギリと力を込めて掴んでいた。 

 

「……やだなあ。このこの髪にゴミが付いていたから取ろうとしてたんですよ。君、この子の保護者なのかい? だったらこんなに小さな子を一人にするのは危険だよ」 

 

 嫌味の無い笑顔。ニコリと笑う男にブラッドは眉間に皺を入れ、眉を吊り上げ顰め面をする。口の中で奥歯を噛み「……忠告はしかと受け取っておく」そう、目の前の青年に返事を返した。 

 

「……気をつけとけよ、むやみに髪にでも触ってみろ。幼児虐待って言われるぞ」 

「ちょっと、ブラッド」 

「ふふ、わかったよ。小さなレディだもんね。気をつけるよ」 

 

 青年がソルに向かってごめんね。と言えば、ソルは首を振りブラッドの足元に隠れた。

 小さく息を吐き、足元に隠れたソルを猫のように持ち上げたブラッドは「そもそもお前が勝手に走っていくからだぞ」と苦々しい表情をする。 

 

「ははは、つい美味しそうな匂いがしてな」 

「そんなんだから、ドットの奴も過保護になるんだろうが」 

 

 ガクリと首を落とし溜息をもう一つ。更に文句の一つでも言おうとブラッドは口を開いたが、クレープ屋の店主の声が聞こえ、吐き出そうとした言葉を閉ざす。 

 

「よー、待たせたな! まあまあ、兄ちゃん、そう邪険にせずこれでも食って気分を落ち着かせろよ」 

「あー、美味しそう!」 

 

 目の前に現われた出来立てのクレープに歓喜の声を上げる。目を輝かせ、喜んで両手で受け取ったソルは口元を綻ばせ、ふにゃりと笑う。 

 

「ブラッド! ブラッド! ほら美味しそうだよ!」 

「へいへい、あんまり急いで食うなよな。ほらそっち貸せ、一気に食えないだろうが」 

「え、何食べるの? ちゃんと自分で買ってよ……」 

「食わねーよ!」 

 

 真顔になり首を横に振る。クレープを一つを奪い取りソルを右腕で抱えてだっこするブラッドの姿はまるで歳の離れた兄妹か親子だ。 

 その様子を隣で見ていたクレープ屋の店主は、はははと笑う。 

 

「なんだ兄ちゃん達、仲が良いな、兄妹か!」 

「え、いや……そうじゃなく」 

 

 ひくり、と口元を引き攣らせたブラッドに、クリームで口元を汚したソルがにやりと笑う。 

 

「ほう! いいじゃないか、ブラッド兄さんか!」 

「ふっざけんな!」 

 

 誰がお前なんかと! 言葉を続けようとしたが、その言葉が出ることはなかった。 

 

「ブラッド……って、もしやお兄ちゃん、ブラッド・ヘリオ様なのかい!?」