2.陽気な午後のティータイム2


 ヒヤリとした感覚に背中を震わせてゆっくりと瞼を持ち上げる。見渡した空間すべてが黒く覆われている事に驚愕し、ブラッドは目を見開きぽつりと言葉を漏らした。 

 

「なんで、ここに……」 

 

 見上げた赤い空はつい最近、目に焼き付けたばかりの光景。青白い月が静かに佇んでいる。はっ、と息を吐いた瞬間に右腹から焼けるような苦痛に顔を歪ませ歯を食いしばった。 

 

「ぐっ……いってぇっ」 

 

 右腹を押さえればぬるりと濡れる感覚。真っ赤な血は止まることなくブラッドの腹から流れ出る。ぐらりと揺れる体を持ち上げ、気力だけで立ち上がり、一歩だけ、前に歩いた。 

 

「っ……!」 

 

 声にならない痛み。靴底が自らの血でべちゃりと濡れる。それでも、何かに引き寄せられる感覚にブラッドはただ、足を進めた。 

 右の腹を押さえ、肩で呼吸をしながら歩いた先には、崩れ落ちた魔王が住んでいた城の跡。歩いて来た道は、血が這っている。 

 腰に装着している剣の柄を掴んでいた右手に力が入った。 

 

 ひゅー。と風が抜けるような音がひとつ小さく聞こえた。少しだけ歯を噛み合わせ、聞こえた音に向かってゆっくりと歩く。小さな塊の前にブラッドは立ち止まった。 

 

「生きて、いたのか」 

 

 ひゅー、ひゅーと風が抜けるような音は、ブラッドの足元に転がっている魔王の形をしていたものが、生命を繋ぐ為に懸命に呼吸をしていた。 

 体の半分以上は抉れ、辺りには黒く変色した飛び散った血の痕。崩れた瓦礫の間に埋まり空を見ていた左目が、ほんの少しだけ揺れ動いた。 

 

 返事は無い。その目はただ、様子を見るようにブラッドを見ていた。 

 

 このまま、魔王だったものを剣で貫けば今度こそ絶命する。剣の柄を持つ手に力を込め、数センチだけ鞘から引き抜く。じわりと痛む右の腹。左手で押さえ一度息を吐いて呼吸を整えた。 

 貫けば終わりだ。すべてが終わる。生き残りの魔物達も人の手によって情け容赦なく駆逐される。人間にとって悪といわれる存在は消えてしまう。なのに。 

 

 どうしてか、剣を抜く事をためらってしまった。 

 

 腹は痛いし、血も足りない。回復する手立ても無いし、そもそも帰ったとしても居場所なんて無い。考えれば考えるほど頭に痛みが走った。心臓の少し下の辺りがムカムカして、ずしりと重くなる。未だに血が止まらない右の腹を、左手で握り潰すほどにブラッドは力を入れた。 

 

 呆然と立ち尽くすブラッドを見ていた魔王であった塊はゆっくりと瞼を下ろし、視界を閉ざす。呼吸をする音は更に小さくなっていた。 

 

 赤い空に青白い月。壊れた城と瓦礫の山。地面にこびり付く飛び散った赤黒い血液。ブラッドは足元に視線を下げて、背後に伸びる自らの血の痕を目だけで追いかけた。歩いて来た道が血に濡れているのを見て眉を下げ、口元を強く横に引く。 

 

 未だに何が正しくて、どうすれば正解だったのかなんてわからない。 

 

 膝を折り、ブラッドは祈るように体を丸めた。 

 誰とも知らない何かに許しを請いたかった。自分の歩んできた道を正当化して欲しかった。 

 

 

 カサリ。と枯れ草を踏む音。 

どれぐらいの時間、項垂れていたかブラッドは分からなかったが思考機能が低下した頭を上げて、音が聞こえた方を見た。 

 瞬きをした先に映ったのは白い靴。靴を辿り視線を上げれば、一人の少女が二、三瞬きをし、不思議そうな表情で見ている。 

 

「大丈夫、ですか……?」 

 

 柔らかい声。眉を下げた少女の赤い瞳。まるで、吸い込まれるようにブラッドは意識を手放した。